原作とプリント——違い、価値、そして選び方
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原作とプリントが同じイメージを伝えることはある。だが「プリント」という言葉は、まったく異なる物を指しうる。絵画の複製かもしれないし、オリジナルのリトグラフやエッチング、限定版、オープン・エディション、あるいは手彩色を加えたプリントかもしれない。
これらのカテゴリーは、制作方法、希少性の成り立ち、そして購入者が期待すべき書類において異なる。本稿ではその違いを説明し、自分が実際に何を買おうとしているのかを判断する手助けをする。
例えば、丁寧につくられたプリントは、作品を驚くほど忠実に伝えられる。色彩、構図、感情的な力を、唯一の原作だけでは届かなかった多くの家へ運ぶことができる。
だが、原作はそれとは別のものも宿している。
作品がこの世に生まれるために実際に用いられた物質そのものだ。手の圧力、顔料の密度、方向の変化、修正された痕跡、ためらい、抑制、そして表面に積み重なった偶然。
私はよく、この違いをライブ演奏と録音にたとえる。録音は美しく、精密で、深く心を動かすものになりうる。音楽を、演奏された部屋のはるか外まで運ぶこともできる。だがそれは出来事そのものではなく、その出来事の翻訳である。
これは、あらゆる原作があらゆるプリントより優れているという意味でも、プリントを買う人が真剣なコレクターではないという意味でもない。両者が、異なるかたちの存在感、アクセス、希少性、つながりを提供するということだ。
重要なのは、自分が何を買っているのかを知ることである。
原作とプリントは何が違うのか
一点物の原作とは、作家自身が制作した物理的な作品である。
絵画、素描、パステルでは、目に見える痕跡こそが、その作品を生み出した痕跡である。イメージと物体は同時に存在し始めた。
表面には、圧力の変化、露出した紙、顔料の層、描き直された部分、偶然の痕跡、光沢の差、作家が未解決のまま残すことを選んだ箇所があるかもしれない。それらは、手仕事に見せるため後から加えられた効果ではない。作品が考えた過程の一部である。
複製プリントは、すでに存在するイメージから始まる。
原作を撮影またはスキャンし、デジタルデータとして整え、紙、キャンバス、その他の支持体に印刷する。完成したプリントは、固有の紙、インク、寸法、制作品質を備えた実在の物体である。だが、原作の判断が行われた表面ではない。
したがって、最も深い違いは単なる品質の差ではない。
出来の悪い原作も存在しうる。並外れて優れた複製も同じく存在しうる。
独自性と品質は同じものではない。
違いは、イメージと物体の関係にある。
原作では、両者は同時につくられた。
複製では、イメージが先に存在し、その後、それを載せる物体がつくられた。
その物質的な存在感をめぐる経験については、より個人的に 原作とファインアート・プリント——私たちは本当は何を買っているのか
室内で原作が異なって感じられるのはなぜか
違いが一目でわかることもある。
絵具はキャンバスから盛り上がる。パステルの顔料は紙の目に留まる。光はある痕跡に引っかかり、別の痕跡の中へ消える。完成した表面の下に、修正の跡がかすかに残る。
一方で、その違いを言葉にしにくいこともある。
私たちは、意識的に説明できる以上の視覚情報を受け取っている。奥行き、圧力、反射、物質のわずかな差は、何を見ているのか正確に説明できなくても、物体をどう経験するかに影響する。
複製は原作のイメージへ驚くほど近づける一方で、原作という物体より少ない情報しか持たないことがある。
その意味で、複製は録音データの圧縮にたとえられる。曲は残る。声も残る。その経験はなお深い意味を持ちうる。だが一つの形から別の形へ移すため、空間的・物質的な情報の一部は減らされ、あるいは翻訳される。
これは、誰もが直感的にあらゆる原作を見分けられるという主張ではない。
意図的に平坦に描かれた絵画もある。豊かな質感の紙に刷られたプリントもある。きわめて説得力のある複製もある。
ただ、視覚的に似ていることと、物質的に等価であることは同じではないと認めているだけだ。
原作とは、作品が起きた場所である。
すべてのプリントが複製なのではない
「プリント」という言葉は複数の異なる物に使われる。混乱の多くはそこから始まる。
プリントには、次のようなものがある。
- 絵画や素描の複製
- 保存性の高いジクレー・ファインアート・プリント
- オリジナルのエッチングやリトグラフ
- 限定版またはオープン・エディション
- 装飾用のキャンバスプリント
- 手彩色を加えた複製
- モノタイプ、その他の版画作品
これらは互いに置き換えられるものではない。
複製プリント
複製プリントは、別の媒体ですでに存在する作品を再現する。
絵画を撮影し、紙に印刷することがある。パステル画をスキャンし、ジクレーとして複製することもある。その複製は、オープン・エディション、限定版、署名入り、署名なし、あるいは手彩色を加えたものになりうる。
どの条件も、基となるイメージが別の作品に由来するという事実を変えない。
だからといって、複製が重要でないわけではない。真摯につくられたファインアート・プリントは、作家の制作世界へ入るための手の届く入口となり、原作が入手できないイメージと暮らすことを可能にする。
紙、インク、色再現、保存性の高い制作について詳しく知るには、 ジクレー・プリントとは何か——ファインアート・プリントの品質ガイドを参照してほしい。
オリジナル版画
オリジナル版画は、版画という制作行為そのものを通して生み出される。
例として、エッチング、リトグラフ、木版、リノカット、シルクスクリーンがある。これらの場合、作家は版、石、木版、スクリーン、その他の版画技法を通してイメージをつくる。
先に絵画として完成したイメージを、後から写したのではない。
刷ること自体が、作品を存在させる方法なのである。
そのため、複数の正規の刷りが存在していても、なお原作としての版画とみなされる。
だから、「原作」と「プリント」を単純に対立させることは、必ずしも正確ではない。複製であるプリントもあれば、版画技法によって生み出された原作もある。
記載された技法が、その違いを明確に示すべきである。
限定版プリントは原作なのか
場合によってはそうである。だが、限定版だからではない。
「限定版」が示すのは、特定のエディションに含まれると宣言された刷りの数である。作品がどのようにつくられたかを示す言葉ではない。
限定版の複製は、限定されていても別の作品の複製である。
限定版のエッチング、リトグラフ、木版画は、版画工程そのものが作品を生み出したため、オリジナル版画でありうる。
重要な区別は次のとおりである。
「限定版」が説明するのは数量であって、制作方法ではない。
例えばエディション番号 5/50 は、五十部からなるエディションのうち第五番であることを示す。すべての刷りが同じ技術基準で制作されているなら、番号が小さいからといって、自動的に品質や価値が高いわけではない。
限定版の価値の一部は希少性にある。だが、もう一つの部分は信頼にある。
作家または版元は、その特定のエディションでは、明示した数だけを制作すると約束する。購入者は、その約束が一つの寸法と用紙だけに適用されるのか、後に別の形式、色違い、別エディションとして同じイメージが発表されうるのかを知るべきである。
希少性は、その背後にある約束が明確なときに意味を持つ。
手彩色を加えたプリントは、いつ原作になるのか
手彩色を加えたプリントとは通常、複製に絵具、パステル、インク、金箔、その他の素材を手作業で加えたものをいう。
そこから美しい物が生まれることもある。
作家が一枚ごとのプリントに個別に応答し、色を変え、新たな痕跡を加え、構図の一部を変容させることがある。一つの刷りが、ほかのすべての刷りと意味のあるかたちで異なるものになる。
その場合、「一点物の手彩色プリント」または「プリントを基にしたミクストメディア作品」という説明は、誠実で有用だろう。
だが、手彩色はかなり冷笑的に用いられることもある。
大量生産されたキャンバス画像に一、二筆の絵具を加えただけで、「原作」と宣伝されているのを見たことがあるかもしれない。絵具を塗った人物が、元のデザインをつくった作家ですらないこともある。
技術的には、それぞれの物体にわずかな違いが生じているかもしれない。
だが技術的な違いが、必ずしも芸術的に意味のある違いとは限らない。
装飾的な一筆に、全面を手で描いた絵画の威信を借りさせるべきではない。
これは一種のカテゴリー・ロンダリングである。技術的には擁護できるラベルを用い、購入者が実際に受け取る物よりも、手仕事や作家の関与がはるかに大きいかのように示すことだ。
原作を買うコレクターは、機械的に複製されたイメージに、より格の高い販売カテゴリーへ入るための最小限の手作業だけが施された物ではなく、作家が表面全体に注意を向けた作品を望んでいるかもしれない。
同じように、手彩色を加えたプリントを心から望むコレクターもいる。思慮深く加えられた細部は、複製をより親密で、希少で、価値のあるものにしうる。
問題は手を加えることではない。
問題は、それを隠すことである。
信頼できる説明は、次の点を伝えるべきである。
- 基となるプリントが何であるか
- どのように制作されたか
- 何を手作業で加えたか
- 誰が加えたか
- 各刷りが異なるか
- 手作業の介入がどの程度か
- その物体が一点物か
- 類似する別の版が存在するか
誠実さが最も重要である。
手彩色を加えたプリントは、印刷された基礎が存在しなかったふりをする必要はない。
原作と複製をどう見分けるのか
あらゆる場合に通用する一つの試験はない。
まず、斜めから光を当てて表面を見る。原作には、盛り上がった素材、光沢の変化、顔料の層、露出した紙、刻まれた線、目に見える修正が現れることがある。
複製は、それらの細部を画像として示していても、物質としては含んでいないことがある。
質感のあるキャンバスプリントでは、盛り上がった凹凸が画像内の筆触と対応しているかを見る。同じ凹凸があらゆる色や形を越えて均一に続いているなら、それは絵を描く行為から生じたものではなく、支持体または仕上げ工程に属する可能性がある。
端や裏面から、制作方法がわかることもある。側面に回り込んだ絵具、顔料の残り、制作中の痕跡、書き込み、ラベル、印刷やマウントの形跡を確認する。
何よりも、技法表記を注意深く読む。
「キャンバスに油彩」「紙にソフトパステル」「顔料プリント」「リトグラフ」「手彩色を加えたジクレー複製」といった記述は、「ファインアート」「プレミアム・キャンバス」「ミュージアム品質の作品」のような曖昧な言葉より、はるかに多くを教える。
直接質問してもよい。
- これは一点物の作品ですか。
- 複製ですか、それともオリジナル版画ですか。
- イメージを制作したのは誰ですか。
- 物理的な作品を制作したのは誰ですか。
- 手作業で何か加えられていますか。
- 署名は直筆ですか、それとも印刷ですか。
- ほかの寸法やエディションはありますか。
- どのような書類が付属しますか。
信頼できる作家やギャラリーなら、質問したことを理由に無知だと感じさせるべきではない。
明確さも販売の一部である。
署名があればプリントの価値は上がるのか
署名には意味がありうる。だが署名だけで重要性が生まれるわけではない。
直筆署名は、作家がその物理的なプリントを承認し、手に取り、または正規のものとして認めたことを示す場合がある。エディションとしての収集価値を高め、正規の作品を無許可の複製から区別することもある。
だが署名が、制作の粗さ、誤解を招く説明、意味ある希少性を持たないエディションを救うことはできない。
また、複製画像の一部として印刷された署名と、作家が物理的なプリントに直接記した署名を区別することも重要である。
印刷された署名の画像は、作家が直筆で署名したプリントと同じではない。
原作はプリントより価値が高いのか
同じ作家の制作活動の中では、一点物の原作は通常、その作品の複製より高い価格になる。
物理的な原作は一つしか存在しない。作家の制作活動の中で唯一の位置を占め、作品が展開された実際の表面を含んでいる。
だが、あらゆる原作があらゆるプリントより価値が高いという意味ではない。
確立した作家による歴史的に重要な署名入りプリントが、別の作家の原作よりはるかに高い市場価値を持つこともある。
価値をいくつかの種類に分けて考えるとよい。
購入価格
原作は一点物で、別の刷りに置き換えられないため、一般に同じ作品の複製より高く価格づけられる。
価格には、作家の労働、素材、アトリエの費用、寸法、経歴、そして制作活動におけるその作品の重要性も反映されうる。
個人的価値
自分が何のつながりも感じない原作より、あるプリントのほうが大切であることもある。
原作がすでに売れている、あるいは予算を超えているイメージを愛することもある。ほかにも刷りが存在するからといって、その関係が偽物になるわけではない。
感情的価値は、エディション番号では計算できない。
文化的価値
原作は、ある時点における作家の注意の物質的な記録である。
複製は、そのイメージを唯一の物体の外へ循環させる。
原作は出来事を保存する。プリントはイメージを旅立たせる。
どちらも文化に寄与しうる。ただし、その仕方が異なる。
再販価値
将来の金銭的価値は不確かである。
独自性、希少性、来歴は価値を支えうるが、値上がりを保証するものではない。将来の利益が作品に組み込まれているかのように語る者には、注意すべきである。
作家が生き延びるために作品をつくることは、もちろん事実だ。
だが芸術は、人を富ませるためにつくられるのでも、銀行の金庫に閉じ込めるためにつくられるのでもない。
芸術は、文化を豊かにし、できる限り多くの人に見られ、享受されることを願ってつくられる。
原作とプリント、どちらを買うべきか
その特定の物理的な物体を望むなら、原作を選ぶ。
表面そのものが大切なのかもしれない。作家の直接の判断を宿す作品を望んでいるのかもしれない。痕跡、寸法、物質的な存在感が、あなたを動かしたものと切り離せないのかもしれない。
何よりもそのイメージと暮らしたいなら、プリントを選ぶ。
原作がすでに売れているかもしれない。予算がより限られているかもしれない。別の寸法を望む、あるいはその作家の制作へ、より手の届く最初の出会いを求めているかもしれない。
プリントは、真剣で意味のある購入になりうる。
誤りは、複製を買うことではない。
一種類の物を売られながら、別の物だと想像するよう促されることが誤りなのだ。
多くの人は、作家と話す前から原作は手の届かないものだと考えている。小品、紙作品、少しずつ貯めること、個別の分割払いによって、予想以上に原作を入手できる場合がある。この話については、より詳しく 気後れせずに原作を集め始めるにはで考察している。
作品にはどのような書類が付属すべきか
書類は、その物が何であるかを説明し、その履歴を保存する助けになるべきである。
原作の場合、作家名、題名、制作年、技法、寸法、請求書、写真、来歴、提供される場合には真正性証明書などが含まれうる。
限定版プリントでは、さらに印刷方法、用紙または支持体、個別番号、総エディション数、署名の有無、プルーフや別版の有無を明記すべきである。
証明書は有用だが、魔法ではない。発行した人物または機関と同じだけしか信頼できない。
請求書、通信記録、展覧会記録を保管してほしい。やがて作品の来歴の一部になる可能性がある。
原作はプリントより長く残るのか
自動的にそうなるわけではない。
制作の悪い原作は劣化しうる。丁寧につくられた保存性の高いプリントは、世代を超えて安定した状態を保ちうる。
寿命は、顔料、インク、紙、キャンバスの下地、額装、光、湿度、取り扱い、保管によって決まる。
購入前に、使用された素材と、作品をどのように扱うべきかを尋ねてほしい。
プリント制作と保存性の高い素材については、 ジクレー・プリントとは何か を参照してほしい。パステル特有の手入れと耐久性については、 ソフトパステルの原作——なぜ脆さもまた、その存在の一部なのかを参照してほしい。
最後に
原作、オリジナル版画、複製、手彩色を加えたプリントは、いずれも芸術的・個人的価値を持ちうる。ただ、それぞれ異なるかたちの作者性、希少性、所有を表している。
重要なのは、その物が誠実に説明されていることだ。どのようにつくられ、どのような書類が付属し、ほかの刷りが存在するかを理解する。そのうえで、本当に共に暮らしたい作品を選ぶ。
私にとって、最も深い違いは今も次の点にある。
複製はイメージを運ぶ。原作はイメージとともに、作家が注いだ注意と直接的な献身の物質的記録を運ぶ。
どちらも誠実であるなら、どちらにも尊厳がある。
自分が何を買っているのかを知る。どのようにつくられたかを理解する。そして、欲しいと思うよう教えられたラベルではなく、本当に共に暮らしたい物を選ぶ。